またまたぐったり・・・
なんて、思ってみたりなかったり。
ごめん、今日はもうネタが何も思いつかないからこの辺にしとくわ。
誰も東大寺の服を着ていたことに突っ込まなかった件について
今日は久しぶりにちょっとした雑学でも語ろうかな。
皆、「魔方陣」は知ってるよね?タテ・ヨコ・ナナメどこを足してもみな同じ数になる方陣。今日はその作り方についてちょっとしたコツを教えようと思う。
まずは完成版を示そう。4×4の魔方陣だ。
タテ・ヨコ・ナナメどこを足してもみな34になっているのが、お分かりいただけるだろうか。それではこの方陣はどのように作られたのか、それを説明していこう。
(Step1)まずは左上から順番に"□"で示された以外の箇所の数字を書いていく。
(Step2)次に、右下の"□"から順に「2,3,...」と書き込んでいく。これだけで4×4の魔方陣は完成するのである。
これを応用すれば、一辺が4の倍数の魔方陣はいくらでも作ることが出来る。実際、8×8の魔方陣は
と始めに書き、後は4×4の時と同じ事をすれば良い(ここを読んでいる君もやってみよう)。6×6の魔方陣の書き方は知らないから、誰か知っている人がいれば、是非教授してほしい。今日はこの辺で。
第1051回「動物が登場する童話・絵本と言えば?」
こんにちは!トラックバックテーマ担当の水谷です!今日のテーマは「動物が登場する童話・絵本と言えば?」です。みなさん、童話や絵本は読みますでしょうか?水谷は、童話や絵本が好きなのでよく読みます。動物が登場する童話や絵本は、数多くあると思いますが水谷は、特に「因幡の白兎」が好きなお話です。昔、水谷は、ウサギを飼っていたのでウサギの登場するお話は、好きだったりします。ちょっと、イタズラなウサギちゃんが、...
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動物が登場する童話ねぇ。いっぱいあるよね。赤ずきんとか、7匹の子ヤギとか、3匹の子ブタ、etc。自分も小さいころに母親に聞かせてもらいながら眠りの世界に旅立ってた気がするなぁ。もう今はそんな童話を聴いて心躍らす、というようなことはないけれど、今度は自分が聴かせる番なのかねぇ。なんて、今考えてもナンセンスなことをのたまっている迷人なのでした。
私服?礼服?
もう秋が目前に
自分のブログの検索のされ方
出張帰りはやっぱ疲れる
明日明後日は出張の疲れを癒して来週からまた頑張れるようにしよう。
Meadowいじりが最近ハマってきた迷人でした。
迷人金沢滞在記(2日目)
で、本番。まず自分のPCが中々プロジェクタにつながらなくてそこで焦ってしまいました。そのせいでマイクの準備が出来ずに仕方なくマイク無しで発表することに。でも、割かし声は出てたと思うんですよね。これは合唱に感謝しなくてはならないかもしれません。しゃべるスピードは少し早かったかな。あまり練習せず時間配分をはっきりさせなかったからかなと思います。発表が終わって質問タイム。やはりAGNの研究の第一人者たちからの質問を受けました。筑波大のK口さん、愛媛大のT島さん。自分はきちんと質問に答えれなかったのは今後の課題だと思います。
発表が終わって自分は全身の力が抜けてしまったようでした。しかし結果がどうあれ、これで自分の発表が終わったので、後はだいぶ気持ちが楽です。今日は発表が終わってから兼六園に行くことにしました。兼六園には大学1回生の時に行った以来(しかもその時は真冬だった)でしたので、非常に楽しみでした。天気は今日1日決して良いとは言えませんでしたが、自分が行こうと思った時には幸運にも雨が上がっていました。
で、やってきました兼六園。入園料300円を払っていざ入園。まだ紅葉には早く、青々と茂った木々が出迎えてくれました。以下兼六園で撮影したものとその説明。




池の中の島は、「蓬莱島」といい、不老長寿を表しており、また亀の甲の形をしているので、別名、亀甲島とも言う。



11枚の赤戸室石で雁が列をなして飛んでいる姿に作られており、かりがね橋ともいう。

別名福寿山とも言う。

銅像の身長5.5m、台石の高さ6.5mで明治13年(1880)に建てられた。


その庭の中心的な建物として建てられた蓮池御亭(れんちおちん)は、その後6代藩主吉徳によって建て替えられているが、藩政後期には、時雨亭とも呼ばれていた。
明治の初めに取り壊されるまでは、今の噴水の目の前にあったが、平成12年3月、この地に再現させたものである。




池は瓢箪型をしているので後に瓢池と名付けられた。
前方の翠滝は安永3年(1774)につくられたものである。


夕顔亭と言う。本席は三畳台目で相伴畳を構えた大名茶室。
藩政時代は「滝見の御亭」とも呼ばれていた。



左のはるかに横たわる稜線は内灘砂丘、その向こう側は日本海、砂丘が右に尽きるところから能登半島が北にのびている。正面の山は卯辰山、右は遠く富山県境の医王山がのぞまれる。

している。
このあたりは、かつての桂の大木にちなんで「桂坂」と名付けられている。

の「三御門」と呼ばれた。櫓と櫓を長屋でつないだ重厚な枡形門に造られている。
宝暦の大火(1759)の後、天明8年(1788)に再建され、現在に伝わっている。
昭和25年(1950)国の重要文化財に指定された。
とまあ、結構写真には収めました。研究室のお土産も買えたし、後1日頑張って学会に臨むかな。今日は自分自身に「お疲れ様」と労ってやりたいです。
迷人@金沢
明日は石川県です
鹿!鹿だ!鹿ですよ!

JR奈良駅に置かれている「せんとくん」。今年は平城京遷都1300年という節目の年であるので、それを記念して登場した奈良のマスコット。登場当時から思ってたけど、坊主頭に鹿の角はただただ不気味です。なぜこんなマスコットに決まってしまったのか、それは今後も大きな波紋を投げかける謎かもしれません。









鹿にせんべいやってみたかったけど、やる勇気とお金がなかった。せっかく自分に懐いてくれそうな感じだったのにもったいない。
最近ヨーヨーの腕が落ちた気がする
最近ヨーヨーで遊ばなくなったから腕が落ちている気がするんだよね。かつてみたいにヨーヨーへの情熱が薄れているからだと思うけど。
明日はちょっと奈良に遊びに行こうと思います。学会前なのに良いのかなとも思うけど、これは前々から決めていたことだし、変更する気はありません。
今日何してたんだろう…
そろそろ秋らしくなってきたなと思う今日この頃
「なつみステップ」とやらのせいで、この後何を書こうとしてたのか分からなくなってしまったので、今日はこの辺にしておきます。
第1045回「今これが壊れちゃうと困ります」
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当ほうじょうです。今日のテーマは「今これが壊れちゃうと困ります」です。日々生活したり仕事をしたりしてるときに便利なものたち。その中でも「これが壊れてしまうとヤバい…」そんなもの、ありますか?少し前までだと「クーラー!」って人も多かったかもしれませんね。今年の夏は酷暑でしたから…ほうじょうはようやく夜クーラーをつけないで寝られるようになりました。まだ多少...
FC2 トラックバックテーマ:「今これが壊れちゃうと困ります」
間違いなくこのPCだね。もうこれが壊れる=迷人の生活から"色"が消えていく、だからね。迷人にとってPCとは、仕事の相棒であり、娯楽の供給源であり、ストレスの発散場でもあるのです。要するに、迷人にとってなくてはならないものなわけです。かなり大きいサイズで持ち運びには少ししんどいけど、その分優秀だから文句はありません。むしろ、100%の力を引き出せていない迷人が情けないです。多分後最低5年は使うつもりでいるので、くれぐれも壊れないようにね。いや、自分が壊さないように大切に使わないといけないのか。
第1044回「サーカスを見に行った事はありますか?」
こんにちは!トラックバックテーマ担当の加瀬です!今日のテーマは「サーカスを見に行った事はありますか?」です。よくテレビや雑誌等でサーカスの案内は良く見るものの、実際に観に行った事のある人はどれくらいいるのでしょうか猛獣のパフォーマンス、人間離れしたアクロバット…。ピエロなんかも登場して、笑いあり、驚きありの楽しい空間なのだろうなといつも思いを馳せております。すばり、加瀬はサーカスに行った事がありま...
FC2 トラックバックテーマ:「サーカスを見に行った事はありますか?」
サーカスは見に行ったことないなぁ。テレビとかではよく特集番組などで見たことがあっぱあるけど、生で見た方がやっぱ迫力があるんだろうな。一度でいいから目の前でサーカスやってるとこ見たいです。
天津カレーとオムカレーの違いってなんだと思う?
迷人はまだ一度も天津カレーもオムカレーも食べたことが無いので、味についての評価はジャッジメントできないけれど、印象としては「普通」かな。何を以って普通とみなすのかは言った自分も分からんけど。それにしても、ついには天津飯にカレーをかけた物がメニューに出てくるとはねぇ。
流石に6年以上阪大にいる訳だから、学食を始め、学食を取り巻く環境も自分が過ごした6年だけで大分その様を変えてきた。例えば唐揚げ定食。あの料理は大学1回生の頃は中身が唐揚げ+ポテトサラダ+半分のゆで卵+ご飯+味噌汁だったのに、今では品数が減ってしまって、唐揚げ定食を注文する時いつも物足りなさを感じてしまう。後、ニラレバ定食が無くなったのも辛いね。迷人レバー好きだから、もう簡単に食べれないと思うと残念過ぎる。
でもこうして消えていく物もあれば、天津カレーのように新しく出てくる物もある。阪大の学食もこうして歴史を積み重ねて行くんだなと思った。
おめでとうございます!!
所で、次はどの先輩が結婚するのかな。
今回はただの文句
⊥⊥
(ノ`д´ノ)
午後からはクーラーの効いた部屋で快適にして過ごしましたとさ。
部屋素地
ゴミ出し
たまってた衣服の洗濯
===明日の課題===
部屋の掃除機がけ
空のペットボトルの処分
まだまだ暑いね
白浜
300円損したな
今日研究室の皆と晩ご飯を食べに学食へ向かう途中、涼しい風が自分の側を通り抜けていった。少しずつではあるけど、秋になっているのだなと思った。
自分が大好きなネット小説について考察してみた
まず、迷人がよく読んでいるネット小説が掲載されているサイトについて紹介しておこう。このブログのリンクにも貼ってあるが、「小説を読もう」というサイトが迷人の今一番のお気に入りである。アマチュアのネット小説家達が自身の作品を投稿し、それらが無料で読むことができる。作品数は1万を超え、このサイトに掲載されている小説を読むだけで1日を過ごすことができるだろう。オリジナルの作品だけでなく、二次創作作品もあるので、ぜひそちらも堪能してほしい。
次に迷人が好む小説の舞台設定について。迷人はファンタジー小説が大好きである。だから、異世界を舞台にした作品を主に読んでいる。その中でも特に気に入っているのがこっち(地球)にいる主人公が何らかの方法で異世界へ行ってしまい、行った先で何かしらの功績を上げるストーリーである。ここで言う「何らかの方法」とは、典型的な例を挙げると、勇者(あるいは魔王)として召喚されるとか、超自然的な力が働いて異世界に迷い込んでしまう、といったものである。もう少しイメージしやすいようにアニメで例えるなら、前者の例の一つとして「ゼロの使い魔」の主人公才人が召喚された状況、後者としては(これは正しいか分からないが)十二国記の「蝕」であろうか。この他にも不慮の事故で命を落としてしまい、霊体・魂だけの存在になった時に神様的ポジションの人が異世界に転生させてくれる、というシチュエーションもある。ネット小説の世界でもここに挙げた例が多く起用されている。いわゆるテンプレ的な設定である。
じゃあ、異世界へ跳んだという非日常的な状況に立ち会った主人公達はその世界で何を為すのだろうか。最も多いのが、勇者として召喚され、魔王を退治しに行くという話だろうか。その世界の住人たちでは手に負えなくなり、未知の可能性を秘めた異世界人に協力を仰いで魔王を倒す。そして魔王を倒した勇者は王族と恋仲になり、平和な統治を行う。そういう筋書きが最も典型的だろうか。細かいところでの違いはあれど、大体このストーリーで書かれている小説が多い。で、異世界に跳んだ主人公と言うのはこれまたテンプレ的なのだが、何かしらのチート能力を宿している。それは異世界に来た時に自動的に身につけたとか、神様から授かったとか、あるいは元々持っていた(いわゆる天才、超能力者といった存在)、といった経緯が多い。具体的には身体能力が向上したり、魔法が使えるようになったりである。そして、これも意外と使われているのだが、この世界(地球)は「魔法」を使う環境としては最低である、という設定である。この世界では魔法が使えず、それが枷となってた為、異世界に行った時にその枷から解放され、異世界の住人では考えられないような力を発揮することが出来る、という流れである。
とまあこんな感じかな、今の所は。今日の記事は突発的に思いついたものだから、またある程度頭の中で整理が着いたら記事に反映させるわ。それじゃ、おやすみなさい。
第1037回「小さいときなりたかった職業は?」
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当ほうじょうです。今日のテーマは「小さいときなりたかった職業は?」です。小さかったときのこと、思い出してください。小学校、幼稚園…もっと前でもいいです。そのころ、「大きくなったら何になりたい?」と聞かれたら一体何と答えていましたかほうじょうは、ケーキ屋さんでした。見た目の可愛いケーキをたくさん扱えるし好きなだけ食べられると思ってたんですよね~今じゃ甘い...
FC2 トラックバックテーマ:「小さいときなりたかった職業は?」
タンクローリの運転手、作曲家、天文学者、etc。特に最初のタンクローリの運転手には何でなりたいと思ったんだろうな。きっとその夢を持っていた子供時代に見た三菱だか日石だかEssoだかのタンクローリに魅かれてその運転手になりたいと思ったんだろう。そういえば、あの時代はミキサー車も好きだったな。あの頃は自動車に憧れてた部分もあったのに、今となっては未だ自動車免許も取れていない始末。現実とは本当に残酷なものである。
阪大男声関係者は一応読んどいてください
先ほど、Thunderbirdを立ち上げてメールを確認したところ、合唱の練習でお世話になっている年配のOBから、阪大男声創設者であらせられる桂 豊さんがお亡くなりになったそうです。桂さんは前から体調を崩されていて、先月一杯持ちこたえるかどうか分からない程だったらしいです。OBからのメールでは昨日の10時頃に息を引き取られたそうです。メールには穏やかに最後を迎えられたとも書かれてありました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。
大阪男声の演奏会、そして現役最後の定期演奏会では、桂さん指揮の元、「Muss i denn」を歌わせてもらいました。また練習後の懇親会ではよく料理、お酒をごちそうになりました。今年の大阪男声の定期演奏会(自分は大阪での演奏会しか参加しませんでしたが)では車いすに座ってまで定期演奏会に駆けつけてくださり、一緒に「Muss i denn」を歌いました。あの時は本当に感極まり、後もう少しで泣きそうになるほどでした。「Muss i denn」は自分も好きな曲なので、桂さん指揮の元でもう歌えなくなるのは本当に残念です。
最近「正直」と呟くのが癖になってきた。。。
も、もうダメポ
夏バテかなぁ
眠眠眠眠
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